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パッケージからオンラインへ、コンテンツ・メディアの移り変わりについて

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何十年か経ったら読み返そうと思ってずっと保管しておいた雑誌を久々取り出して開いてみた。「日経エンタテインメント 」1992年1月22日号。「パッケージがなくなる日」という特集。近未来の2001年頃には、CDやビデオなどのパッケージで売られている音楽・映像のコンテンツがパッケージではなく、オンラインに取って代わるだろうという予想を語っていた。そんなことがあるはずない。あってはいけない!僕は猛烈な抵抗感を覚え、そんな未来が来たらたまらないぞ!と憤りすら感じたものだ。そんな衝撃的な未来予想が実際にはどうなるのかを見届けてみようと思い保管していた。

この雑誌、今は「!」がついた「日経エンタテインメント!」という若い子たちがエンタメ情報を得るための雑誌なのだけど、この頃は、メディアとコンテンツを包含したエンタメ及びその周辺トピックを扱う業界誌だった。僕は広告業界にいて、親会社が当時協賛イベントを盛んにやっていた時期でもあり、仕事と趣味の両方の興味から定期購読をしていた。

1992年と言えば、Windows95の3年前、インターネットのことなんてほとんどの人がまだ何も知らない頃。音楽市場はレコードからCDに9割以上置き換わっていたものの、まだDVDの規格はできていなく映像はVHSビデオだった頃。そんな頃に、近い将来、音楽・映像はネットからオンラインで入手するようになりパッケージ・メディアは衰退するだろう、という予測を語っていた。

それから約30年。当時は飛んでもないと憤っていたことが現実のこととなり、実際には憤るどころか、そんなオンラインでの音楽の流通をありがたく日々享受することになっている。すごい時代になったものだ。約30年の月日、そしてその間のテクノロジーとアイディアの開発・発展・蓄積のチカラはすごい。

 

じゃあ、1992年当時、この特集ではどんなことが語られていたのか。タイムマシンに乗る気持ちで当時の記事を読み返してみた。

まず、パッケージ消滅を予想する理由として次の4つを挙げている。

①B-ISDNの普及、データ規格の標準化、AV機器とパソコンの融合化

電話回線のデジタル化、B-ISDNの実現により電話線を介してさまざまなデータを送るサービスが始まってきた。それは加速していく兆候がある。それを後押しするものとして、MPEGなど画像・音声の圧縮技術の国際標準化の進展、さらに、このことを追い風にテレビとパソコンの融合化などが進展している。

②デジタルで管理することによる確実な著作権管理(著作権料の徴収)

ダビング・レンタル・中古市場といった著作物流通過程での著作権トラブル要因をなくし、個人認証・端末指定・再生時期指定などさまざまなな方法でソフト利用者から著作権使用料を確実に徴収できる。

③記録メディアの進歩によるパッケージの旧式化の回避

パッケージ方式では、レコード・カセットテープ・CDなど主要記録メディアの進化により古い形式のパッケージや再生機器がゴミ化する。ユーザーが欲しいのは中身であり、パッケージという「モノ」であり、そうしたゴミ化の回避ということからも、オンライン化はユーザーのニーズに合致する。

④製造業からソフト産業になることによるコンテンツメーカーの事業多様化

レコード会社やビデオメーカーは、現状パッケージという「モノ」を作る製造業だが、「版権ビジネス」への意識が高まっている中、情報産業・知識産業への移行を多くのメーカーが志向している。またアーチスト側は、楽曲完成から発表までのタイムラグ短縮化、何曲かをまとめての発売方式から、1曲ごとの販売など創作と販売活動の多様化が図れる。


と、そんな4つの理由を掲げた上で、パッケージが消えた後の業界のありようとして、次のような予想をしている。

①パッケージはコレクション・アイテムに

パッケージという「モノ」を所有したいという欲望は決してなくならないであろうから、パッケージが完全になくなるわけではない。その場合、コレクションとしての価値を高めるための付加価値を高める方向にいくであろう

②コンテンツ流通業は、コンサル機能を持つ知識産業へ

卸・小売りという機能は必要なくなるものの、「メーカーとユーザーの仲立ち」の機能は残る。具体的には、ユーザーの志向に合わせたコンテンツ・データベースへのアクセスのサポートや、新しいコンテンツの紹介などという「ナビゲーター」「コンサルタント」というような機能。


そして、技術的にはほとんど問題はない。あとは、普及に向けて通信インフラの普及や産業界への働きかけをどうしてゆくかの政策の問題である、と結んでいる。

  

約30年前の予想はこんな内容だった。

実際にはB-ISDN(当時言っていた容量は156Mbps)ではオンライン配信には全然足りなく、次世代・次々世代の大容量通信インフラを待っての普及で2001年よりも年月を要したとか、著作権の問題は言うほど簡単な話ではなかったとか、流通業がコンサル機能で生き残れたわけではないとか、いろいろ突っ込みどころはあるものの、インターネット以前の時代の予想にも関わらず、大きな方向性は間違っていなかったことが確認できる。

そして、通信容量と方式の急速な進歩・拡大、パソコン機能の向上、スマホの登場、パソコン・スマホ共通して使えるプラットフォームの登場など、当時には想像もできなかったテクノロジーとアイディアによって、実にWelcomeな形でコンテンツのオンライン化が現実になっている。

当時としては、大胆な未来予想だったと思うのだけど、予想は予想。一雑誌のライターや編集部が想像するよりも、実際には多くの人々の叡智によってもっと良いものになっているということだ。

 

さて、ここにきて世界はこれまで誰も予想をしなかった深刻な事態に遭遇している。それでも、叡智の結集によって今後良い方向に展開してゆくことを望みたい。今回の話としては強引な締めになるけど、過去の予想より「今」の方が格段に良いという話の流れとしては、それを今起こっているこの重い現実に当てはめてみたいと思った。

改めて・・・、良い方向に向かうことを祈りたい。